メータオ・クリニックとJAMは2008年以来、非常に親密な関係にあります・・・・・・
所在地 | PO Box 67, Mae Sot, Tak 63110, Thailand |
電話/FAX | +66-55-544-655 |
電子メール | info@maetaoclinic.org |
URL |
1987年 | シンシア医師 カレン州の村の診療所での医療活動を開始する。 |
1988年9月 | シンシア医師 仲間3名とともにビルマを逃れ、タイ国境を目指す。タイ側に到着後、難民キャンプで医療活動に従事。 |
1988年12月 | シンシア医師 メーソートに到着。 |
1989年2月 | シンシア医師 メーソートに最初の仮設クリニックを開設。その後、医療要員養成の講習を開始。 |
1990年 | 巡回医療チームの立ち上げ。HIV/AIDS対策の医療トレーニングを開始。 |
1995年 | 移民学校(CDC)の前身となる学校プロジェクトを開始。母子保健活動を開始。 |
1996年 | 国境に4つの簡易診療所を設立。 |
1997年 | クリニックの建物を新設。移民学校(CDC)を正式に設立。ビルマ軍による攻撃で簡易診療所3つが焼き払われる。 |
1997年9月 | バックパック医療団が正式に発足。 |
2002年 | シンシア医師 ラーマン・マクザイザイ賞を受賞。 |
2003年 | 学校保健の活動を開始。 |
2004年 | シンシア医師 米・TIME誌で「アジアの英雄」に選ばれる。 |
2005年 | シンシア医師 ノーベル平和賞にノミネート。 |
2005年 | メータオ・クリニックに院内感染予防チーム(ITC)を結成。 |
2008年3月 | 日本で「メータオ・クリニック支援の会(JAM)」が発足。 |
2008年 | JAMが梶藍子看護師(内科病棟)を現地に派遣 |
2009年2月 | メータオ・クリニック20周年記念式典を開催。 |
2009年 | JAMが田辺文医師(外科病棟)を現地に派遣。 |
2011年 | JAMが前川由佳看護師(外科病棟)を現地に派遣。 |
2012年 | JAMが田畑彩生看護師(外科病棟)を現地に派遣。 |
2012年 | シンシア医師 Democracy Award 受賞 |
2013年10月 |
「NPO法人メータオ・クリニック支援の会」としてNPO法人登記。 |
「メータオ・クリニック」とは、タイ/ミャンマー国境の街に設立された、ビルマ移民・難民のための総合診療所です。
メータオ・クリニックは1989年、タイ北西部に位置する国境の街・メーソートに設立されました。設立以来、軍事政権による迫害・弾圧などによってタイに逃れて来たビルマの人々、貧困により国内では医療を受けられないビルマの人々のために、必要な医療を提供し続けてきました。
現在、メータオ・クリニックを訪れる患者の数は、年間10万人に上ります。受診する10万人の患者さんの半数は、貧困などによりミャンマー国内で医療を受けられず国境を越える人。もう半数はタイ国内に住む移民や難民です。メータオ・クリニックは支援者からの寄付によって運営されており、人々は無料で医療を受けることができます。
祖国を離れ、タイに逃れてくるビルマ移民・難民に加え、2021年の軍によるクーデターを契機とした国軍による弾圧から逃れる避難民も加わり、メータオ・クリニックの医療を求める患者さんの数は減っていません。ミャンマー国内では未だに、診療費、検査費、薬剤費用、手術費など医療費の大部分に自己負担が求められ、貧困や戦禍での生活に喘ぐ多くの人々は病院にかかることすら出来ないからです。
クリニックには今日も、マラリアや肺炎、下痢に苦しむ患者のほか、地雷被害者、出産を控えた女性、子どもの予防接種を求める人々が、国境を越えてやって来ます。
またメータオ・クリニックでは、年々増加するタイ国内のビルマ移民・難民のために、子ども達のための学校や孤児院を運営しているほか、HIV/AIDSの予防啓発や、保健教育など、多岐にわたる活動を実施し、30年以上の長きに渡って国境に住む人々の生活を支え続けています。
医療サービス | 内科、外科、小児科、歯科、眼科、産婦人科、検査、献血、義足の作成など |
社会サービス | カウンセリング、出生証明書発行、学校・孤児院運営、長期入院患者ケア、死亡患者の葬儀など |
移民へのヘルスケア | 学校保健、思春期性教育、HIV/AIDS患者訪問ケアなど |
2020年 | 2021年 | 2022年 | 2023年 | |
外来患者数 | 58,392人 | 31,755人 | 65,234人 | 105,881人 |
入院患者数 | 4,427人 | 2,929人 | 5,538人 | 7,189人 |
メータオ・クリニックはタイ、ミャンマー両政府から認定を受けた組織ではなく、公的な資金援助を受けられていません。また、患者からバーツやチャットの収入を得ることが難しいため、その活動資金は海外からの支援団体からの寄付によって賄われています。
患者数の上昇に伴う運営費の増加により、慢性的な資金不足が訴えられてきましたが、近年のミャンマーにおける民主化への動きに伴い、メータオ・クリニックの事業は急激な資金難に直面しています。タイ/ミャンマー国境地域の移民・難民への支援を続けてきた各国の支援団体が、支援対象を国境地域からミャンマー国内へとシフトする傾向にあるからです。
こうした資金難を受けて、メータオ・クリニックではスタッフの給与を20%カットした他、緊急性の低い診療科やサービスの中止、緊急性の低い患者さんの病院への転送の中止を含んだ事業の整理を行っています。本来であれば大病院に転送し、治療を受けさせてあげたい患者さんに、何もしてあげられないー。必要な薬を提供出来ないー。患者さんにとっても、クリニックのスタッフにとっても苦しい状況が続いています。
2010年のミャンマーの選挙以降もメータオ・クリニックを訪れる患者数に顕著な減少は見られず、今も多くの人々が仕事を求めてミャンマーからタイへと渡ってきています。タイに暮らす移民の多くは未登録であり、弱い立場にあり、劣悪な労働環境にあります。登録している移民は政府が整備する健康保険を持っていますが、登録されていない移民の多くは医療サービスを購入するほどの余裕はありません。
2013年、メータオ・クリニックは今後も必要な役割は何かを検討しました。そして出された方針は、国境での医療提供の継続と人材育成です。
今まで、メータオ・クリニックはビルマ語での無料医療サービスを提供するなど、タイの地域医療機関と協力しながら活動を続けてきました。国境での医療の必要性が問われる中で、タイ病院とメータオ・クリニックは度重なる話し合いを持ち、メータオ・クリニックの提供する医療サービスはメソトとその周囲に暮らす最も弱い立場の人々へ医療を提供するという点で、今後も必要不可欠であるとの答えにいたっています。
最近ミャンマーで起きている改革や一時的な停戦合意に関わらず、メータオ・クリニックは今後も必要とされ続けるでしょう。ミャンマー国内において、人々が利用可能な金額で効果的な治療を受けられるようになるまでには、何年もの時間がかかります。国境の安定に至っては、さらなる時間を要することでしょう。
ミャンマーの人々は雇用の機会と、医療と教育へのアクセスが改善されるまで、タイによりよい生活を求めて来るのです。メータオ・クリニックはその役割がなくなるまで、求める全ての人々に医療を提供し続けます。
メータオ・クリニックは、ミャンマー国内民族地域のヘルスワーカーの育成に重要な役割を担ってきました。地域による医療サービスの差を埋める上で、彼らの役割は重要なのです。ミャンマー国内で医療を求める人々のために、メータオ・クリニックは今後も医療人材の育成に取り組み続けます。これら人材育成を通じて、メータオ・クリニックはミャンマー国内の医療組織と国境をつなぐ重要なネットワーク基盤としての役割も果たしていきます。
2013年、メータオ・クリニックは必要とされる役割を果たすため、新病院の建設に踏み切りました。メータオ・クリニックは、長年、長期間使用できる施設の確保に取り組んできました。現在のメータオ・クリニックは借地にあり、メソトの急激な発展により土地の価格は大幅に上昇、その賃料はメータオ・クリニックの財政を大きく圧迫してきたからです。
加えて、最近行われたクリニックの医療サービスに関する外部評価では、現在の施設での医療提供には限界があり、多くの建物は貧弱で院内感染対策には適していないという結果が出されました。過去26年間、クリニックは急速に拡大していく中で、その都度、増築を繰り返すことを余儀なくされてきたためです。医療施設の質の保証はクリニックにとってますます重要な課題となっていきました。
そこで、タイ政府公認の財団(メータオ・クリニックの姉妹団体)の所有地へ移転することになりました。移転することで、病院機能と感染管理に適した施設の建設が可能となり、将来的には質が保障された医療が提供できます。
新病院の建設は2013年11月に始まりました。産科入院病棟、小児入院病棟、診療補助病棟、内科/外科入院病棟はすでに完成しています。2015年3月には、日本政府の支援により、感染管理部門や中央薬剤室などが入る診療補助施設が完成しました。管理棟と産科外来は現在建設中で、周辺道路と排水システムの建設も始まろうとしています。
移転開始の目標は2015年11月。今までのところ、必要な資金の内85%が確保されています。しかしながら、プロジェクトを完了させるためにはさらに15%の資金確保が必要となっています。
国境地域では今も、医療支援・教育の援助が必要とされています。メータオ・クリニックの活動を継続するためにも、多くの方々のご支援を必要としています。
メータオ・クリニック院長のシンシア・マウン医師は、ミャンマーの少数民族カレン族出身の医師です。1988年のビルマ民主化運動の際、軍事政権から弾圧を受けていた学生達とともに民主化を訴え、自らも難民として国境に流れ着きました。
シンシア医師は7名の学生達とともに、軍事政権によって医療にアクセス出来ない人々や、貧困に苦しむ人々を助けたいとメータオ・クリニックを設立しました。以来30年間以上、増大する移民・難民と、ニーズの多様化に合わせて必要なサービスを提供し、ビルマ難民の命に寄り添い続けてきました。
シンシア医師は、その功績により2002年にアジアのノーベル平和賞と言われるラーマン・マグサイサイ賞を受賞したほか、2005年にはノーベル平和賞にもノミネートされています。
<シンシア・マウン略歴>
1959年 ラングーン近郊生まれ。大病院での医師の職を辞して、カレン民族の村で医療活動を行う
1988年 タイのメーソートに亡命
1989年 メータオ・クリニック創設
2002年 アジアのノーベル平和賞「マグサイサイ賞」受賞
2003年 「TIME」誌の「アジアの英雄」に選出
2005年 ノーベル平和賞にノミネート
2012年 Democracy Award受賞
そのほか、世界各国の国際人権賞を多数受賞
メータオ・クリニックは医療機関のため、日本の病院と同じく、基本的には個々に見学する事は禁止されております。そのため訪問を希望される場合は、JAM の日本人派遣スタッフ(日本語対応、有料)またはクリニックのローカルスタッフが同行させていただいております。JAM日本人スタッフが同行する場合、1グループ5,000円(もしくは5,000円相当のタイバーツ)の寄付をお願いしております。ローカルスタッフの場合は無料ですが英語での対応となります。
なおJAMスタッフ、クリニックのローカルスタッフともに時間に制約があるため、状況によりご希望の日程ではご案内が出来ない場合があります。あらかじめご承知おきください。
訪問ご希望の方は「お問合せ」よりお知らせください。
NPO法人 メータオ・クリニック支援の会
Japan Association for Mae Tao Clinic(JAM)